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評価:
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宝島社
¥ 680
(2008-05-19)
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元ライブドア社長の堀江貴文氏が、メディアに掲載された記事をめぐって、名誉毀損の損害賠償を求める裁判が現在進行しています。上掲の『日本タブー事件史3』(宝島社)は夏前に発売されたものですが、この本のなかに堀江氏の起こした裁判について、短い記事があります。堀江氏は日経BP社と評論家の立花隆氏に対して、賠償金5000万円と全国紙5紙への謝罪広告掲載(9513万6000円相当)を求め、名誉毀損の損害賠償を求める裁判を昨年起こしているのです。日経BPのサイトで連載されていた、「メディア ソシオ−ポリティクス」の記事に、堀江氏と暴力団とのつながりを考察する記述があったことが問題になっています。記事ではこの裁判が立花氏の連載が中止になった原因だとされています。また堀江氏は同じく昨年、堀江氏がカジノに関与していたとする週刊現代掲載の記事をめぐっても、名誉毀損で提訴しています。
堀江氏が最近再開したブログに、
井上トシユキがいい加減なことを言っている件|六本木で働いていた元社長のアメブロというエントリーがあって、名誉毀損訴訟に関係することが少し書かれています。そのエントリーによると最高裁に上告中の証券取引法違反の罪に問われている刑事裁判の代理人が、高井康行弁護士から弘中惇一郎弁護士に代わったことがわかります。そして名誉毀損訴訟に関しては、引き続き、高井康行弁護士が代理人を務めるとのことです。
この堀江氏のエントリーが興味深いのは、堀江氏が新たにブログを開設した理由として、「
ネット上にあふれる、いい加減な情報源に基づく、一方的な私の揶揄記事が間違いであることをアピールするため」としている点です。現在のようにウェブ上で自らの見解を瞬時に表現できる時代、しかも情報の受け手が、伝統的なマスメディアが発信する情報と当事者が発信する情報を、フラットに見比べられる時代においては、ものごとの評価とは、常に情報の受け手の目線に晒されながら、時々刻々検証され更新されていくものになっています。堀江氏となじみの深い経済の世界に例えると、ウェブ上のさまざまな情報は、変動相場制のもとに置かれているといっていいかもしれません。情報の真偽を判断し評価を下すリテラシーが、これまでになく個々の受け手に求められている時代です。
名誉毀損とは社会的評価を貶める表現を指すわけですが、その名誉も、それにまつわる表現も、固定化されたものとは言い難い。事実に基づかず他者を貶めるような表現は、表現者自らの信頼を下げること(名誉毀損)につながります。もちろんウェブ上の情報空間には、サイバーカスケードと呼ばれる振れ幅の大きい現象が起こりえますが、それも株の比喩で例えるなら、株の世界に
値幅制限という措置があるように、情報の価値を受け手が判断する際に、一定の時間的猶予をもって評価する慣習がリテラシーとして成熟してくる可能性があるのではないでしょうか。
以前のエントリーで、
「トラブルに関心をもつ第三者にみえるかたちで、やりとりをする情報環境が既にある」のだから、「表現をめぐるトラブルが発生したとき、即座に金銭的賠償を求める裁判を起こすのではなく、一定の対話のプロセスが社会的慣習として成立していく可能性」があるのでは、と考えたのは、まさに堀江氏がブログを再開したように、ウェブ上で対話的な表現が可能になってきているからです。
アンチ・スラップ法は、言論を封じ込める理不尽な訴訟を違法だとする法理のもとに成立してきています。そのアンチ・スラップ法が
シリコンバレーのあるカリフォルニア州で先進的に発達を遂げていることは、非常に注目すべきことのように思われます。というのも、SLAPPは名誉毀損や財産権(著作権)の侵害をたてに表現者を抑圧する形式をとるものが多いわけですが、それらは結果的に情報流通の阻害をもたらすものだからです。
インターネットの登場により社会の情報流通のあり方は劇的に変化しましたが、インターネットをベースで貫く思想とは、池田信夫氏がインターネットの創始者=デビッド・クラークの言葉「われわれは王も大統領も投票も拒否する。信じるのはラフな合意と動くコードだ」を引いて、
コチラのページで語っているように、ベスト・エフォート(最大努力)型の思想だと言われています。それは確定的・固定的な思想、ギャランティー(保証)型の思想と対比される、情報処理のあり方です。
インターネットがもたらした新たな情報空間は、固定的な名誉や確定的に算出可能な財産権(著作権)という考え方に修正を迫っているように思えてなりません。アンチ・スラップ法の発達は、情報流通の価値を再評価する現代の時代的要請のような気がします。インターネットの価値に賭けることにおいて余人の追随を許さなかった堀江氏が、ウェブ上で反論を試みるよりも、高額賠償を求めて裁判を起こしていることは、そこはかとなく違和感を感じる一件です。