イベントで烏賀陽さんは、SLAPPの概念を造った米国の大学教授にも現地取材したいと宣言していたので、「日本初のSLAPP訴訟に「勝訴」したジャーナリスト」と自己定義して取材に行くのかなと思うと、もやもやした思いがしました。以上、ある意味、「被害者」烏賀陽さんに苦言を呈するエントリーを書きました。でもこれを書かないと、私自身も苦しくて苦しくて仕方がないので書きました。偏りなき視点で示唆するところを学び取らないと、それこそ概念の創始者にも失礼です。
管理人はもともと言論の自由だとかメディア論だとかのテーマが好きな性質なのですが、このところ、そうしたことを全く考えられなくなっていました。もともとオリコン訴訟が起きた後、武富士訴訟などかねてから関心のあった訴訟についての議論を参考に、SLAPPという概念に着目し、これは意義があると当ブログを始めました。が、遠慮というか自己規制というか、次第しだいに自由に考察することが、できなくなりました。サイトを開くことさえできませんでした。烏賀陽さんの「勝訴」宣言に疑問を投げかける知り合いもいないようです。でも、自分の言語感覚に忠実に思考しない限り、前へ進めません。
昨年、SLAPPの切り口でオリコン訴訟をとりあげた大手メディアとしては、週刊朝日、毎日新聞がありました。いずれの記事を書いた記者も、メディア関係の記事を書く記者として著名な人たちです。影響力あるメディアの記者たちと問題意識を共有できたことは喜ばしいことではありました。それらの記事を書いた二人とは、沖縄密約情報公開請求訴訟の現場で居合わすことがありますが、その訴訟の原告団の会議に、たまたまですが、管理人は彼らと三人だけ、ずうずうしくも非当事者なのに同席させてもらったことがあります。その場には、あの西山太吉氏もいたのですが、西山氏がその会議で口にした最初の話題は、訴訟を提起するにあたって会見を開こうとしたら外務省記者クラブに拒否されたという話題でした。またその訴訟の第一回口頭弁論後に開かれた集会でも彼らと同席していましたが、その集会では議論めいたやりとりがあって、毎日新聞OBの男性が毎日新聞の部数が西山事件をきっかけに減ったと巷間言われているけれども、あれは押し紙を減らしたからなんだ、自分はそれを公言してはばからないという発言がありました。
何が言いたいのかというと、言論・表現の自由をめぐる先鋭的な記事を書いている記者たちであっても、大手メディアの記者たちは、書けない、いや書かない事実というのが存在していて、そうした仔細なエピソードの部分に、案外真に知られるべき事実というのはあるし、そういうものを共有する努力を個人的にはしてみたいってことです。読売新聞による黒薮哲哉氏に対する訴訟など、その典型で、先の二人の記者たちも言論の自由の問題として記事化することはないでしょう。話はずいぶん飛んでしまいましたが、言論の自由について考えましょうという原点を大事にして、タブー視や自己規制を排さなければいけないな、と。たとえそれがこのブログのきっかけになったオリコン訴訟に関してもということです。そんなことをず〜〜っと考えていました。(了)
]]>その後昨年8月、和解が成立し、「勝訴」との表明が烏賀陽さんから、なされました。彼からはオリコンが非難されていましたが、内容は、サイゾーが両当事者に謝罪し、烏賀陽さんに賠償金を払うものでした(和解調書参照)。いくら当事者でも、そんなレトリック(言葉選び)でアナウンスしていいのだろうかというのが第一の印象でした。その後、出版労連や出版流通対策協議会が、烏賀陽さんの主張を受け売りした見解を発表しました。そうした団体に対しても、編集の不正確さが紛争の原因と認定する内容なのに、業界の教訓とせず、オリコンばかり非難していることに、気分が萎えました。結局、違和感を抱いているのは自分だけかとも悶々としました。
和解から2ヵ月近く経った9月26日、新宿「NAKED LOFT」にてオリコン訴訟について和解後はじめて語られるというふれこみで、津田大介氏による烏賀陽弘道公開インタビューというイベントが開催されました。けじめとして聞きに行き、印象に残った点が二点ありました。ひとつは津田氏が、オリコン訴訟についての話題は当初ネットで盛り上がっていたのに、終結したときにはほとんど盛り上がらなかったことを指摘し、ネット(上の言論)は熱しやすく冷めやすいところがあるのがどうしたものか、と漏らした点でした。嘆くようなトーンでしたが、烏賀陽さんに気を使った切り口だなとも感じました。でも、そもそもネット上で論者が何か考察しようにも、和解に至るプロセスについて情報が少なすぎ、肯定的にせよ否定的にせよ、盛り上がりようがなかったのが実情ではないでしょうか。プロセスの情報を出さないで結論だけを聞いて欲しいという情報発信は、ネットの空気感に最もそぐわないもので、関心を持たれなかったのは当然だと思いました。
印象に残ったもう一点は、そのイベント用に烏賀陽さんが作ってきたレジュメの中の文言でした。『オリコン裁判の経緯』、『オリコン敗訴宣言。烏賀陽側の逆転勝訴で終結』、『オリコン裁判の問題点まとめ』と3章ほどに分かれたレジュメの最終章の最初の大見出しには、「オリコン訴訟は日本で初めての「SLAPP訴訟」である。」と太字で書かれていました。この文言を目にして、私はイベント中、烏賀陽さんの話をまともに聞けなくなってしまいました。なんだコレ?という思いが脳裏を駆け巡りました。当ブログに関心をもつ読者で、この文言に同意できる人が何人いるでしょうか。いくら自分の体験が特異だからといって、そんなことが書けるとは、どういうことなのか。「日本で初めての○○」。新聞記者が好きそうな修飾語だと思いました。
烏賀陽さん自身は‟日本で初めて”を根拠づける自説を持っているのかもしれません。しかし訴訟による口封じというSLAPPの概念の核心が当てはまる事例は、あまり深く考えなくても、武富士やクリスタルによるものなど、先行事例はごく自然に思い浮かぶのであり、しかも判決で提訴の違法性の認定まで勝ちとっている被告経験者もいるのです。一審では多くのジャーナリストが傍聴に足を運んでいましたが、そうした裁判で被告を経験した当事者も数多くいました。そうした人たちの経験はSLAPPと考察するに値しないのか。国内の法律専門誌でも批判的言論威嚇目的での訴訟と題した項目の判例解説は、過去に存在しているのです。((4)へ)
]]>加えて直接質問に二の足を踏ませる一因としてあったのは、訴訟になって以降、烏賀陽さんは時折、話し手として訴訟について語る集まりをもっていましたが、そうした集まりをもつ際、しばしば「オリコン訴訟をめぐって、まだ公にしていないことがあるので話すかもしれません」といった惹句で人を集めていたことが気にかかっていました。
訴えられて以降、烏賀陽さんは、裁判に関する文章を書いたり、Youtubeにビデオをアップしたり、会見を開いたり、個別取材を受けたり、いろいろ情報を発信していたとは思いますが、実はまだ公にしていないことがありますとか、公にしていない裁判の経過をしゃべるかもなど、しばしば情報を小出しにしているのが見受けられました。裁判に対処するだけでも大変な環境であったと重々承知していますが、個人的にはその姿勢に、違和感がつのっていました。話を聞いて欲しいとSOSを発しながら、でも詳細な事実関係は公にしているわけではありませんと言わんばかりの人の話に耳を傾け続けるのは、容易なことではありません。
同情すべき境遇の「被害者」とはいえ、このブログとしても彼が小出しに出す情報をその都度紹介するだけなら、偏ったポジショントークに組みしてしまうだけになる可能性があります。価値があるようなないような情報をほのめかすあり方を目にすると、いくら訴訟に興味をもった者でも、まともな非当事者ならコミットに慎重になってしまいます。訴訟が進展するにつれ、メディア関係者がオリコン訴訟を積極的にとりあげないのも無理ないかもと感じてしまった面がありました。
当ブログはSLAPPという日本ではあまり知られていない現象を研究する場としてスタートしたため、オリコン訴訟についても、事実関係ぐらいは客観的に情報を提供したいと思っていて、烏賀陽さんの、情報をチラ見せでもよしとするかのような姿勢を見るにつけ、訴訟をどのように扱ったらいいのか、時が経つごとにわからなくなっていきました。
年が変わったのを契機に、溜まっていたものを吐き出します。以下、長文エントリーご注意を。冒頭写真は2003年、管理人撮影。
この文章を読もうという方なら、ご存知のとおり、当ブログを始めるきっかけとなった、オリコンvs烏賀陽裁判は、昨年8月3日に控訴審での和解が成立し、終結しました。和解内容については、烏賀陽さんのサイトにその内容が掲載されています(和解調書)。烏賀陽さんは自ら解説して「勝訴」だと表現しています。そしてのちに経過を語る文章もアップしています。(1)(2)
ひとこと感想を語る前に、管理人は、烏賀陽さんの被った事態には同情しています(だからこそ、このブログを運営していました)。次にそれを前提として、和解への見解を述べると、結果としてオリコンによる訴えそのものは筋違いであったことが確定したと言えますし、烏賀陽さんは裁判を撥ねつけたうえ、非を認めた者(サイゾー)から500万円の賠償金を得ており、一個人としては勝利を得たと表現できると思います。しかし、対オリコンにおいて「勝訴」したと社会的に強調するのは無理がある、というのが率直な感想です。
特に当ブログが問題意識をもっていたオリコン提訴の恫喝的側面に関しては、とりあえずその論点を不問にすることで、裁判は終結したのだと解釈しています。和解成立時に記事にしたメディアがいくつかありましたが、「オリコン損賠訴訟:和解が成立「編集不正確」、サイゾー謝罪 」という毎日新聞の記事の見出しが、最も的確に事態を伝えていると思いました。
結果的にこの裁判を通しての「敗者」とは、控訴審から利害関係人として裁判に参加し、非があったことを自ら認め謝罪に至ったサイゾーであったのだと見ています。烏賀陽さんは裁判後、請求の放棄と訴訟の取り下げは違う、とテクニカルなことを強調していますが(確かに用語として別物なのですが)、その実際の効果については、訴訟当事者による自主的紛争解決の方式として、その共通性・類似性を認めるのが学説上も有力な傾向だと私は理解しています。原告による請求放棄とは訴えの根拠がなくなったということだから、それはつまり被告の勝訴に値する、という一般的な方程式は、サイゾーが関係者として加わったオリコン訴訟控訴審では、いっそう当てはまらないと思います。オリコンは誤りを認め謝罪する主体が現れたことで請求を放棄していて、当初の主張どおりの対応をしたとも言えます。
正直に告白すると、こんなブログを運営していたのに、控訴審以降、裁判がどういう経過を経ていたのか、あまり把握できていませんでした。烏賀陽さんは訴訟になって以降、知人を対象に「オリコン訴訟だより」という同送メールをときおり送信していましたが、そこでも控訴審以降は、ほとんど裁判の進行状況は語られず、関係者の多くはやきもきしながら事態を見守っていたのではないかと思います。
烏賀陽さんは当初から訴訟に関して、対面直接取材しか認めない、電話での質問には一切答えない、と当管理人に対しても宣言していたので、何か知りたいことがあってもカジュアルに質問するといったことは、できませんでした。このサイトは連名で始めたのですが、もとより知人レベルの関係でありましたので、突っ込んで経過を教えてもらう関係とまではいきませんでした。ただ、和解までには随分長い時間が経過したわけで、知りたいと思っていることを聞き出すことなく、時間だけが過ぎてしまったのは認めざるをえません。((2)へ)
]]>本当に今の気持ちは、「情けない限り」で一杯だ。しかしこういう問題は、メディア同士で批判しなければならない。だが同業他社だからといって手心を加えるというのは、それは“八百長”だ。そういうことが読者に見破られているのではないだろうか。
闘論!週刊誌がこのままなくなってしまっていいのか」(仮題)概要
5月15日(金曜日) 開場=18時/開始=18時半〜21時まで
場所 上智大学 12号館1階102教室)
(入場無料)
■登壇者■
田原総一朗/佐野眞一/田島泰彦
「週刊現代」乾編集長/「週刊朝日」山口編集長/「週刊ポスト」海老原元編集長/「週刊文春」木俣元編集長/「週刊SPA!」渡部編集長/「フラッシュ」青木編集長/「週刊大衆」大野編集長/「アサヒ芸能」佐藤元編集長/他