SLAPP WATCH

大企業や団体など力のある勢力が、反対意見や住民運動を封じ込めるため起こす高額の恫喝的訴訟をSLAPP(Strategic Lawsuit Against Public Participation)といいます。このブログはSLAPPについての国内外の実例や法律を集め、情報を蓄積し公開する研究室兼資料室です。反対運動のサイトではありません。基本的に♪
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堀江元社長名誉毀損訴訟、対立花隆・日経BP訴訟は既に勝訴で確定済み
堀江貴文元ライブドア社長に関する名誉毀損訴訟のうち講談社との間で争われていた裁判について勝訴判決が出され各メディアが報じています。判決後、堀江氏、週刊現代編集部の両サイドにコメント取材している毎日新聞の記事を引用します。

<名誉棄損>堀江元LD社長勝訴 講談社に4百万円賠償命令(毎日新聞) - Yahoo!ニュース
元ライブドア社長の堀江貴文被告(36)=証券取引法違反で実刑判決、上告中=が、週刊現代で「闇カジノに参加した」と報じられ名誉を傷付けられたとして、発行元の講談社に約5000万円の賠償を求めた訴訟で、東京地裁(広谷章雄裁判長)は24日、400万円の支払いを命じた。
 問題となったのは、「ホリエモンが興じたヒルズ族“高級闇カジノ”一部始終」の見出しで同誌が報じた06年9月16日号の記事。元社長をカジノで見たという目撃者が証人尋問に出頭しなかったため、広谷裁判長は「記事が真実である証明はない」と判断。「裏付け取材は十分ではなかった」とも指摘した。
 堀江元社長の話 事実無根の記事で当然の勝訴。この結果を反省し、不確実な情報源をうのみにして記事にしないでほしい。
 週刊現代編集部の話 誠に残念。証人が原告側からの威嚇行為におびえた結果、出廷できなかった。

さて、堀江氏が起こした名誉毀損訴訟のうち、ジャーナリストの立花隆氏・日経BP社に対するものについては、以前当ブログでも紹介し、堀江氏側による5000万円の損害賠償と謝罪広告掲載の請求に対し、10月3日に東京地裁で、立花氏側に200万円を支払いを命ずる(謝罪広告掲載は認めず)判決が出ていました。

その後の経過を報じたマスコミは目にしていませんが、当ブログは、10月24日付で立花氏側敗訴の地裁判決が確定していることを、裁判記録で確認しています。

裁判の過程で立花氏側は、アメリカで公人に対する名誉毀損訴訟でしばしば争点となる、「現実的悪意」を論点のひとつとして主張していましたが、認められませんでした。「現実的悪意」とは、「当該言明が虚偽であることを知っていて、あるいは虚偽であるかを一向に意に介さず、あえて表現を行う」といった場合を指し、そうでない限り表現の自由は最大限保障されるべきだとして参照点となっている概念です。裁判所の判断では、まずもって一企業人であった堀江氏を公人とは認めていなかったのが、印象的でした。

ちなみに記録によると、賠償請求額の根拠の参考に、立花氏がコラムを書いていた日経BPのサイトの閲覧数の資料が提出されていました。ウェブサイトの閲覧数と社会への実際の影響力をどのように評価すべきなのか、現時点で何か目安となる評価法は存在するのでしょうか。雑誌の刊行数や販売数とサイトの閲覧数の評価法には、違いはあるのか否か、関係した判例は蓄積の途上にあると思われるので、今後の調査の課題です。
| slapp | 興味深い裁判例 | 23:21 | comments(0) | trackbacks(0) |
ウェブの成熟はアンチ・スラップ法の制定を要請する(少々理屈っぽい話)
更新が長らく停止してしまいました。訪問しては、がっかりしていた方には申し訳ないです。ウェブ上に情報をアップすることにこそ意義があると信じているものの、問題意識が広がる中で、追うべき対象が広がり、特に一次情報の発信をボランタリーに続けることがつらくなっていました。情報をアップすれば雪ダルマ式に義務感にとらわれ、きつくなる面があります。海外のブログのように手軽にpaypalの寄付システムのようなものが埋め込めて、もし当ブログのテーマに関心のある方々に些少でも応援していただくことが実現できていれば、気持ちも違ったと思うのですが、どうしたらいいかわからない。広告ネットワークの誰かが拾ってくれないものか…。

また裁判の各関係者から見ても、ブログでの発信者は、マスメディアの取材者よりも全く信用されないのだなと感ずる場面に遭遇することもあって、正直しんどい(これまで情報を送ってくださった方には感謝しています)。そして一方で、超長い目で見ればアンチ・スラップ法は制定されるだろうなと感じることもあって、小さなブログで情報を発信し続けることの意味を見失っていました。2ヶ月ぶりに少々理屈っぽくなりますが、アンチ・スラップ法が制定される必然について思うところを書きます。

ウェブ上の情報爆発をめぐるコネタとして、かつてグーグルの創設者のひとり、サーゲイ・ブリンは、地球上に存在するおおよその情報がウェブに収集されるには300年ほどかかると発言したと聞いたことがあります。この発言は逆に言うと、300年の時間があれば、およそ有意味な過去時点の情報は取り出し可能なかたちでウェブに格納されうるということを示唆しています。ウェブが、あらゆるメディアの一次的なプラットフォームになるときは近い(といっても何十年スパンの話ですが)と思われますが、ウェブ上の情報に接していて日々面白いと思うのは、人類の知がリアルタイムで量的にも質的にも、万人に見えるかたちで上書きされていく状況が生まれているということです。

そのような時代における情報の正確性や信頼性はどのようにして担保されるようになるのでしょうか。かつては(現時点でもそうかもしれませんが)、流通経路のボトルネックを握っている“産業としてのマスメディア”が、情報の精度を担保するというフィクションが成り立っていました。そうした時代には、マスメディアが偏った情報を発信したときのための反論権の議論や、発信者の権利に制限を加えるパブリック・アクセス権の議論が熱心になされていました。情報の受け手はそうした権利によって寡占的な情報発信者から発せられるの信頼性に関与すべきだという議論に説得力があったのです。

しかし今はそうした議論はかなり下火になりました。ウェブ上の情報発信者は(情報通信法の制定されていない現時点において)、伝統的なマスメディアであっても、個人のブロガーであっても、フラットに比較されうる状況下で情報を発信できるようになっています。こうした状況下で、かつての反論権の議論とよく似た、それでいて、おもむきの異なる議論が登場してきているのが、注目に値します。

それは「返信する権利」と呼ばれている概念です。リンク先のエントリー(「ブログ、そして、返信する権利」)を一読すると、現在フィリピンでは、「配信または放送事業体により、配信された、あるいは放映されたコンテンツによって、不当な扱いを受けたと誰かが感じた場合は、特定の期限内に、その作品と同じ紙面、または同等の時間で、自らの考えを発表するためのスペースや時間が無償で与えられる」という法案の議論が登場しているといいます。この法案の狙いは一見、伝統的なメディアに対して制約を課すかつての反論権の議論とたいして変わりません。

しかし目新しいのは、この法案はウェブ上の情報発信一般をも適用対象とするらしいことです。この法案が議論されているフィリピンの国内事情の詳細は不明ですが、ウェブ上の情報発信の正当性をめぐる紛争をどのようにして解決するのかという問題は、こんにちにおいて極めて興味深い論点です。

一般的に、紛争が発生した場合、不当性を主張する側が自己の主張を訴えるため、あるいは争点を確認するため、相手の見解を問い質すのが通常のステップです。そうした紛争に訴訟で決着をつけるのは当然あってもいい選択肢ですが、普通は情報発信者に異論でもって応える(返信する)行動を一番にとるはずです。言論には言論で対抗するというあり方です。

先の「返信する権利」の議論は、異論をもった相手の見解を第三者に晒す機会を与えることを情報発信者の義務として課すことになります。異論をもつ者と発信者の情報がフラットに第三者に検証されうるのです。サイト開設者やブロガーは情報発信を行う以上、一定の説明責任を課されるようになる制度設計だと言えます。

ところで話はとびますが、情報の発信者が情報の利用可能性をあらかじめ指定することによって情報共有を促進するクリエイティブ・コモンズ(CC)という運動があります。クリエイティブ・コモンズのベースにあるのは、情報をオープンに共有しあうことによって、情報をやりとりするうえでのコストが下がり、次なる新たなイノベーションが起きる、そのことに期待する、という発想だと思います(過去に現CEOの伊藤穣一氏によるプレゼンを聴く機会があり、エッセンスをそう受けとりました)。クリエイティブ・コモンズの運動は、発信情報にまつわるさまざまな権利を持つ既得権者と、せめぎあいながらも、浸透を続けています。オバマ米次期大統領もCCライセンスのもとにサイトを公開していますね。

上記二つの動き、紛争発生時の第三者による検証を促す権利の生成と、ウェブ上の情報共有のための仕組みづくりの運動から連想(妄想?)するのは、なんらかの紛争がおきたとき、ウェブ上に正確で信頼のおける情報を同定するための場が、うまく制度設計すれば、立ち上げることは可能ではないかということです。場といっても、紛争発生時に、まずはここで話し合いをしなさい(返信し応答し合いなさい)といった対話を実現するための公開の場です。そうした場は特定のサイト内を想定する必要は無く、第三者に検証して欲しい紛争が発生中ですとリンクを登録し目印を表示するだけで充分かもしれません。

司法とは、紛争が発生した際、どちらにどの程度正義があるのかを、国家が関与することによって同定するシステムです。そうして紛争が終結したあかつきには、当事者は次なるステップに向かっていくことができます。いわば国家という第三者が関与した“正義の上書き”です。そして裁判とは、引いた視点で見れば、ひとつの“対話”の形式です。

現在の司法システムは、裁判という“対話”に、けっこうなコストを要するシステムとなっています。裁判には、弁護士ら法を扱う専門家の助けを仰ぐのが、慣例となっています。しかし、はたして我々はギルド化している法律専門家の助力がなければ、“対話”ができない存在なのでしょうか。

クリエイティブ・コモンズは文化やアイデアを共有するための発想ではありますが、ウェブで情報が共有されイノベーションに向かう状況と、紛争発生時の対話の実現から解決へと至る道筋は、とてもよく似ています。ウェブの発達は、情報をやりとりするときのコスト(transaction cost)を下げることに多大なる効果を発揮してきましたが、ウェブは紛争解決を目指した“対話”のコストを下げることにも貢献できるのではないでしょうか。

幸か不幸かリアルな社会では、社会的な強者と弱者が存在します。社会的な強者とは強い情報発信力をもつ者、社会的な弱者は弱い情報発信力しかもたない者と言い換えることが可能でしょう。

SLAPPとは、紛争発生時に、現行の司法システムにおける“対話”のコストを悪用した、情報発信弱者の疲弊を狙った訴訟だと解釈することができます。このようなコストは、ウェブ上の“対話”によって乗り越えられる環境は、技術的にすでに整っています。問題は、見解の相違や訂正したい意見があっても、現状では、第三者に見えるかたちで情報発信できるような制度がないということです。だからこそ、先の「返信する権利」の概念が重要になってくるのです。

公開の場で低コストで“対話”が充分可能であるにもかかわらず、そうした手段をとらない姿勢はおかしいと気づくことは、SLAPPを違法と認定するアンチ・スラップ法の法理に結びついていくはずです。我々はウェブを活用し、社会をオープンにすることによって、紛争発生時に何が正義であるのかを同定するためのコストを、いま以上に下げることができるのです。(溜まってた考えを書いたら長すぎ…)
| slapp | 未分類 | 23:02 | comments(0) | trackbacks(0) |
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