SLAPP WATCH

大企業や団体など力のある勢力が、反対意見や住民運動を封じ込めるため起こす高額の恫喝的訴訟をSLAPP(Strategic Lawsuit Against Public Participation)といいます。このブログはSLAPPについての国内外の実例や法律を集め、情報を蓄積し公開する研究室兼資料室です。反対運動のサイトではありません。基本的に♪
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日経新聞コラムニスト・田勢康弘氏「発行部数は嘘の塊ですから」と明言
chikusi-sympo
(当ブログはSLAPPについて考える場としてはじめましたが、たまに違った周辺ネタもカテゴリーをもうけてアップしていこうかなと。それがジャーナリズム2.0?)

1月26日、昨年11月7日に亡くなったジャーナリスト・筑紫哲也氏を追悼して、「多事激論!ジャーナリズムのこれから」と題したシンポジウムが早稲田大学で開かれ、田原総一朗氏司会のもと、ゆかりのあった金平茂紀氏(TBS)ら6人が参加し、議論を行いました。1000人が収容可能といわれる大隈講堂は9割がたが埋まっていて、筑紫氏の存在感の大きさを感じさせるものでした。

筑紫氏を追悼する集まりといっても、筑紫氏の足跡についての話題はチラっと出ただけで、あとは多岐にわたる時事的な話題、とくに今後メディアはどうなっていくのか、といった話に多くの時間が割かれました。そうしてこそ、論を好み媒体を超えて活躍した、筑紫氏の遺志を継ぐのにふさわしいと田原氏らは判断したのでしょう。

なかなか面白いシンポジウムでしたが、なかでも筑紫氏の後を継ぐかたちで早稲田大学公共経営研究科の教授についた、日経新聞客員コラムニスト・田勢康弘氏の話に興味深いものがありました。田勢氏は、もと日経新聞の政治部記者で、記者時代から単著を発表し、筑紫氏同様、日本の記者クラブの慣行を批判し、組織人でありながら、その枠を超えた活動をしてきた人です。現在はテレビ東京で週刊ニュース新書の司会者も務めています。

田勢氏はメディアの来し方行く末を話す中で、「この40年間、新しい新聞がまるで登場してきていない、こんな産業はない」、「大きな新聞はあらゆる意味で権力に弱い。若手記者は新聞社の幹部が社主催のイベントへの出席を、総理官邸にお願いに行くのを見ているわけです。(だから批判などできるわけがない)」といった数々の指摘をしていました。なかでもポツリと漏らした、「(新聞の)発行部数は嘘の塊ですから」という言葉は、会場の笑いを誘い、耳に残るものでした。田勢氏は中学・高校と新聞配達をして身を立てた人ですから(著書『政治ジャーナリズムの罪と罰』より)、新聞販売の現場にも愛着があると想像します。思わず、しゃべらずにいられなかったのではないでしょうか。

なにもこのエントリーは、田勢氏の「嘘の塊」発言を晒しあげたいわけではなく、黒薮哲哉氏の地道な報道や、元新聞社幹部の発言や、個々の販売店経営者自身が声をあげることによって、新聞の発行部数に疑問を投げかける事実は、充分蓄積されているにもかかわらず、こちらのJ-CASTニュースの記事のように、日本新聞協会という「倫理団体」(←協会側の自己説明)の関係者らは、偽装部数問題を他人事のように扱っているのです。そのことを晒しあげたい、というか、少しでも知らせるため、書いておきたいのです。新聞の現役の書き手が「発行部数は嘘の塊」と公言しているのを、新聞関係者は冷笑で済ませようとするのでしょうか。

筑紫氏のよく使っていた言葉で、記憶に残っているのは、二つ。いずれも福澤諭吉の言葉ですが、やはり「多事争論」、そして「一身にして二生」。ひとつの集団に帰属して自己保身を優先するあまり、真実を犠牲にし、あげくの果てに他者を圧殺するような役回りを担っている人が、いやしませんかと思う今日この頃。生前最後に、ウェブに発言の場を移した筑紫氏が、サイト開設にあたって書いた『「論」も愉し』というメッセージにリンクを貼って、拳拳服膺できるようしておきたいと思います。

◇参考
Chikushi-Memorial Symposium
WEB多事争論
| slapp | ジャーナリズム2.0 | 23:54 | comments(0) | trackbacks(0) |
読売vs偽装部数調査報道記者訴訟、1/28傍聴
読売新聞西部本社の法務室長・江崎徹志氏が、新聞社の偽装部数問題を報道し続けてきたジャーナリスト・黒薮哲哉氏を、著作権法に違反したとして訴えている裁判が、1月28日、東京地裁で開かれ、証人尋問が行われました。この裁判は、黒薮氏が長年追っている、読売と訴訟にまで発展した販売店問題(通称真村裁判)の動向を、江崎氏が送付したFAXやメールを引用しつつ自らのサイトで報じたところ、その公表が権利の侵害にあたると訴え、その差止を求めているもの。この裁判以外に江崎氏は、他の読売社員2名と読売新聞西部本社の連名で、黒薮氏が自らのサイトで行った記述が名誉毀損にあたるとして、2230万円の損害賠償を求める裁判も起こしています。

江崎氏への尋問
法廷ではまず江崎氏が証言に立ち、トラブルとなっている販売店側に送付したFAXが黒薮氏のサイト「新聞販売黒書」に掲載されているのを発見したのち、どういう経緯を経て掲載中止を求める催告書を送付したのか、江崎氏の著作権に関する理解とはどういうものかといった点を中心に、質問に答えました。

江崎氏によると、2007年12月、トラブルとなっている販売店(正確には代理人)に送付したFAXが黒薮氏のサイトに掲載されているのを発見、「交渉ごとなので第三者に公開されるとまずいと思った」ため、販売店対処の代理人を務めている喜田村洋一弁護士に相談。「公表権・複製権の侵害にあたるとアドバイスを受け」、法務室にあった著作権に関係した本を数冊読み、自ら催告書を作成。弁護士に見てもらって修正を経たのち、メールで黒薮氏に送信。その後の対応は弁護士に「おまかせ」したと述べました。催告書の著作物性に関しては、問題の文書の「どの部分に創作性があるのか?」との質問には、「どこかと言われれば、全体としか言いようがない」、「私が自分で書いたので、私の著作物だと思った」と答えていました。

印象に残ったこととして、裁判官が、江崎氏に「(会社で)催告書を作成することはありますか?」と質問したとき、黒薮氏に対してが「初めて」と明かしただけでなく、その流れで、「部下たちは催告書を作成していると思います」(筆者強調)と、部下の業務を把握していないかのように感じさせる発言がありました。催告書とは、相手に一定の行為を請求するもので、応じない場合は法律上不利益な扱いを受けることがあると通告する文書なので、もし法務室の社員がそうした文書を作成するなら、上司への確認、少なくとも報告があるのでは、と引っかかりました。江崎氏は一方で、今回の催告書送付は、「事後に社内に報告した」と述べていました。

黒薮氏への尋問
次に黒薮氏が、サイトで催告書を掲載するに至ったプロセスと、この訴訟がもたらす社会への影響について証言。黒薮氏は、新聞社の不正を追いはじめた原点から語り、江崎氏よりも、はるかに長い時間軸で事態の背景を説明しました。

黒薮氏は、新聞業界紙の記者を経験後、97年からフリーに転じ、新聞の偽装部数、いわゆる押し紙問題の取材に着手。以後、出版物やウェブサイトで問題提起を続けてきました。なかでも継続的に報道し続けてきた事例に、真村久三氏(福岡県)の経営する読売新聞の専属販売店と読売本社との経営権をめぐるトラブルがありました。このトラブルは裁判にまで発展し、真村氏が、2007年6月、高裁で勝訴しました。押し紙の存在も認められた画期的判決は、その後、確定しています。法廷でも黒薮氏は、「新聞社と販売店との訴訟で、高裁でも新聞社が負けたのは、自分が知る限り初めて」と語っていて、非常に注目に値する裁判でした。勝訴後、真村氏は損害賠償を求めて本社側を提訴し、緊張は継続しています。

真村氏販売店と本社の間ではトラブルになって以来、6年間も交流がなく、新聞供給元が販売店と接触しないという異常な状況があったそうです。そんな状況下で、本社から訪問したいとの意向が販売店側に伝えられたのです。そのことを知ってニュース性を感じた黒薮氏は、自らのサイトで、この事実を報じました。この際黒薮氏は、江崎氏が真村氏代理人の江上武幸弁護士に送付したFAXを資料として掲示。その後、江崎氏から催告書が送付されてきたため、再度、催告書もあわせて示し、読者に動向を知らせたところ、司法へと訴えられたのです。

尋問で黒薮氏は「報道というのは客観的資料を見せるのが重要」、「内部文書が許可無く掲載できないなら調査報道がなりたたなくなる」と主張しました。ちなみに黒薮氏が、報道に際してはできる限り全部資料を見せた方が望ましいと述べたため、喜田村弁護士は、黒薮氏がサイトで資料を引用する場合は必ず全文を引用するのかと同じ内容の質問を連発し、裁判長に「繰り返しなのでやめてください」と注意されていました。引用の常識を知らない人物と印象づけたかったのでしょうか。

管理人の注目点
両者の尋問から重要なポイントだと思われたのは、催告書が黒薮氏にメールで送信されたのち、黒薮氏は江崎氏に真意を問いただすべくメールや電話でコンタクトをしたにもかかわらず、江崎氏は、無回答や先延ばしで、これらにまともに対応せず、内容証明郵便を送るでもなく、司法に訴えたという経過です。江崎氏はそうした理由を、「喜田村弁護士におまかせした後なので返事をしなかった」と説明していました。総じて尋問では、かなり早い段階から、喜田村弁護士への相談→おまかせ、といった弁護士の関与が存在し、催告書をメール送信した後は、対話の可能性を閉ざして、裁判に至っているということが明らかになりました。

次回は2月12日、午後3時、東京地裁、627号法廷で開かれ、結審の予定です。
| slapp | 興味深い裁判例 | 07:34 | comments(0) | trackbacks(0) |
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