SLAPP WATCH

大企業や団体など力のある勢力が、反対意見や住民運動を封じ込めるため起こす高額の恫喝的訴訟をSLAPP(Strategic Lawsuit Against Public Participation)といいます。このブログはSLAPPについての国内外の実例や法律を集め、情報を蓄積し公開する研究室兼資料室です。反対運動のサイトではありません。基本的に♪
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読売vs新潮・黒薮「押し紙」記事訴訟、第4回終了
読売新聞東京本社・大阪本社・西部本社の3社が、週刊新潮に掲載された記事で名誉を毀損されたとして、発行元の新潮社やジャーナリスト・黒薮哲哉氏に対し、計約5500万円の損害賠償と謝罪広告を求めて訴えている裁判の第4回口頭弁論が1月19日、東京地裁(村上正敏裁判長)で開かれ、期日までに提出された陳述書の内容などを確認し終了した。問題となっているのは、昨年発行された週刊新潮による「『新聞業界』最大のタブー  『押し紙』を斬(き)る!」と題した記事。新潮側代理人の弁護士によると、記事中で示された押し紙比率の推定を立証するため、今後各販売店の陳述書を提出していく予定とのこと。
次回口頭弁論は3月2日、午前10時、東京地裁、526号法廷で開かれる予定。ちなみにこの裁判の係属は、民事第37部、事件番号は平成21年(ワ)23459。

◇参考
新聞販売黒書 2010年1月17日付け記事 
| slapp | 興味深い裁判例 | 22:12 | comments(1) | trackbacks(0) |
非当事者のオリコン訴訟雑感(4)
配られたレジュメの最後には洋書『SLAPP』の中から、SLAPPの要件が訳されていました。が、どう見てもオリコン訴訟を特別視する必然性のない定義群です。裁判を契機に新しい法律の概念に目覚めるのはよいのですが、烏賀陽さんが個人的なプレステージ(威信)のためにSLAPPという概念を使おうとしているのだとしたら、いろんな意味で不幸なことだと思ってしまいました。過去に国内で刊行された本を辿ってみても、SLAPPという概念は、オリコン訴訟以前に実務家の間で知られていたし、訴権の濫用に関しては、判例の中には、裁判の途中で審理を停止するという発想(まさに米におけるアンチ・スラップの動議に相当)まで示されたことがあるのです。そうした過去の国内の蓄積をふまえないで専売特許のように語られていいものか…。

 

イベントで烏賀陽さんは、SLAPPの概念を造った米国の大学教授にも現地取材したいと宣言していたので、「日本初のSLAPP訴訟に「勝訴」したジャーナリスト」と自己定義して取材に行くのかなと思うと、もやもやした思いがしました。以上、ある意味、「被害者」烏賀陽さんに苦言を呈するエントリーを書きました。でもこれを書かないと、私自身も苦しくて苦しくて仕方がないので書きました。偏りなき視点で示唆するところを学び取らないと、それこそ概念の創始者にも失礼です。

 

管理人はもともと言論の自由だとかメディア論だとかのテーマが好きな性質なのですが、このところ、そうしたことを全く考えられなくなっていました。もともとオリコン訴訟が起きた後、武富士訴訟などかねてから関心のあった訴訟についての議論を参考に、SLAPPという概念に着目し、これは意義があると当ブログを始めました。が、遠慮というか自己規制というか、次第しだいに自由に考察することが、できなくなりました。サイトを開くことさえできませんでした。烏賀陽さんの「勝訴」宣言に疑問を投げかける知り合いもいないようです。でも、自分の言語感覚に忠実に思考しない限り、前へ進めません。

 

昨年、SLAPPの切り口でオリコン訴訟をとりあげた大手メディアとしては、週刊朝日、毎日新聞がありました。いずれの記事を書いた記者も、メディア関係の記事を書く記者として著名な人たちです。影響力あるメディアの記者たちと問題意識を共有できたことは喜ばしいことではありました。それらの記事を書いた二人とは、沖縄密約情報公開請求訴訟の現場で居合わすことがありますが、その訴訟の原告団の会議に、たまたまですが、管理人は彼らと三人だけ、ずうずうしくも非当事者なのに同席させてもらったことがあります。その場には、あの西山太吉氏もいたのですが、西山氏がその会議で口にした最初の話題は、訴訟を提起するにあたって会見を開こうとしたら外務省記者クラブに拒否されたという話題でした。またその訴訟の第一回口頭弁論後に開かれた集会でも彼らと同席していましたが、その集会では議論めいたやりとりがあって、毎日新聞OBの男性が毎日新聞の部数が西山事件をきっかけに減ったと巷間言われているけれども、あれは押し紙を減らしたからなんだ、自分はそれを公言してはばからないという発言がありました。

 

何が言いたいのかというと、言論・表現の自由をめぐる先鋭的な記事を書いている記者たちであっても、大手メディアの記者たちは、書けない、いや書かない事実というのが存在していて、そうした仔細なエピソードの部分に、案外真に知られるべき事実というのはあるし、そういうものを共有する努力を個人的にはしてみたいってことです。読売新聞による黒薮哲哉氏に対する訴訟など、その典型で、先の二人の記者たちも言論の自由の問題として記事化することはないでしょう。話はずいぶん飛んでしまいましたが、言論の自由について考えましょうという原点を大事にして、タブー視や自己規制を排さなければいけないな、と。たとえそれがこのブログのきっかけになったオリコン訴訟に関してもということです。そんなことをず〜〜っと考えていました。(了)

| slapp | 当ブログから | 23:19 | comments(0) | trackbacks(2) |
非当事者のオリコン訴訟雑感(3)

控訴審以降、裁判は非公開で進展するようになり、ずいぶん時間が経ってからですが、ある所で烏賀陽さんと直接顔を合わした際に、なぜ非公開で裁判を進めているのですか?と聞いたことがありました。そのときの答えは、「裁判所が公開の法廷を開いてくれないから」というものでした。そんなことあるのかと思い、その理由は?と聞くと、「わからない」と返ってきました。正直言って、私はその説明に納得ができませんでした。非公開での和解の協議を公開法廷よりも「選択」していたから、非公開で推移したのではないでしょうか。

 

その後昨年8月、和解が成立し、「勝訴」との表明が烏賀陽さんから、なされました。彼からはオリコンが非難されていましたが、内容は、サイゾーが両当事者に謝罪し、烏賀陽さんに賠償金を払うものでした(和解調書参照)。いくら当事者でも、そんなレトリック(言葉選び)でアナウンスしていいのだろうかというのが第一の印象でした。その後、出版労連や出版流通対策協議会が、烏賀陽さんの主張を受け売りした見解を発表しました。そうした団体に対しても、編集の不正確さが紛争の原因と認定する内容なのに、業界の教訓とせず、オリコンばかり非難していることに、気分が萎えました。結局、違和感を抱いているのは自分だけかとも悶々としました。

 

和解から2ヵ月近く経った9月26日、新宿「NAKED LOFT」にてオリコン訴訟について和解後はじめて語られるというふれこみで、津田大介氏による烏賀陽弘道公開インタビューというイベントが開催されました。けじめとして聞きに行き、印象に残った点が二点ありました。ひとつは津田氏が、オリコン訴訟についての話題は当初ネットで盛り上がっていたのに、終結したときにはほとんど盛り上がらなかったことを指摘し、ネット(上の言論)は熱しやすく冷めやすいところがあるのがどうしたものか、と漏らした点でした。嘆くようなトーンでしたが、烏賀陽さんに気を使った切り口だなとも感じました。でも、そもそもネット上で論者が何か考察しようにも、和解に至るプロセスについて情報が少なすぎ、肯定的にせよ否定的にせよ、盛り上がりようがなかったのが実情ではないでしょうか。プロセスの情報を出さないで結論だけを聞いて欲しいという情報発信は、ネットの空気感に最もそぐわないもので、関心を持たれなかったのは当然だと思いました。

 

印象に残ったもう一点は、そのイベント用に烏賀陽さんが作ってきたレジュメの中の文言でした。『オリコン裁判の経緯』、『オリコン敗訴宣言。烏賀陽側の逆転勝訴で終結』、『オリコン裁判の問題点まとめ』と3章ほどに分かれたレジュメの最終章の最初の大見出しには、「オリコン訴訟は日本で初めての「SLAPP訴訟」である。」と太字で書かれていました。この文言を目にして、私はイベント中、烏賀陽さんの話をまともに聞けなくなってしまいました。なんだコレ?という思いが脳裏を駆け巡りました。当ブログに関心をもつ読者で、この文言に同意できる人が何人いるでしょうか。いくら自分の体験が特異だからといって、そんなことが書けるとは、どういうことなのか。「日本で初めての○○」。新聞記者が好きそうな修飾語だと思いました。

 

烏賀陽さん自身は‟日本で初めてを根拠づける自説を持っているのかもしれません。しかし訴訟による口封じというSLAPPの概念の核心が当てはまる事例は、あまり深く考えなくても、武富士やクリスタルによるものなど、先行事例はごく自然に思い浮かぶのであり、しかも判決で提訴の違法性の認定まで勝ちとっている被告経験者もいるのです。一審では多くのジャーナリストが傍聴に足を運んでいましたが、そうした裁判で被告を経験した当事者も数多くいました。そうした人たちの経験はSLAPPと考察するに値しないのか。国内の法律専門誌でも批判的言論威嚇目的での訴訟と題した項目の判例解説は、過去に存在しているのです。((4)へ) 

| slapp | 当ブログから | 22:57 | comments(0) | trackbacks(0) |
非当事者のオリコン訴訟雑感(2)
 逐次ブログで情報をお知らせするため会って裁判の経過を聞き出すところまでできなかったのは、同情を寄せている烏賀陽さんに対して、いちいち疑問を突きつけるのに抵抗感があったのと、烏賀陽さん自身が語り出すのを待ってしまったことがあります。そもそも訴訟とは、民事訴訟であっても公開が原則ですから、控訴審以降、非公開のまま裁判が推移するとは、全く想定外でした。しかもオリコン訴訟は、ジャーナリストが当事者でしたし、多くの人に注目と支援を呼びかけていたので、プロセスを開示しつつ進行するのが当然だと思っていました。また管理人は烏賀陽さんより後輩であり、目上の人に遠慮してしまったというのもあります。

 

加えて直接質問に二の足を踏ませる一因としてあったのは、訴訟になって以降、烏賀陽さんは時折、話し手として訴訟について語る集まりをもっていましたが、そうした集まりをもつ際、しばしば「オリコン訴訟をめぐって、まだ公にしていないことがあるので話すかもしれません」といった惹句で人を集めていたことが気にかかっていました。

 

訴えられて以降、烏賀陽さんは、裁判に関する文章を書いたり、Youtubeにビデオをアップしたり、会見を開いたり、個別取材を受けたり、いろいろ情報を発信していたとは思いますが、実はまだ公にしていないことがありますとか、公にしていない裁判の経過をしゃべるかもなど、しばしば情報を小出しにしているのが見受けられました。裁判に対処するだけでも大変な環境であったと重々承知していますが、個人的にはその姿勢に、違和感がつのっていました。話を聞いて欲しいとSOSを発しながら、でも詳細な事実関係は公にしているわけではありませんと言わんばかりの人の話に耳を傾け続けるのは、容易なことではありません。

 

同情すべき境遇の「被害者」とはいえ、このブログとしても彼が小出しに出す情報をその都度紹介するだけなら、偏ったポジショントークに組みしてしまうだけになる可能性があります。価値があるようなないような情報をほのめかすあり方を目にすると、いくら訴訟に興味をもった者でも、まともな非当事者ならコミットに慎重になってしまいます。訴訟が進展するにつれ、メディア関係者がオリコン訴訟を積極的にとりあげないのも無理ないかもと感じてしまった面がありました。

 

当ブログはSLAPPという日本ではあまり知られていない現象を研究する場としてスタートしたため、オリコン訴訟についても、事実関係ぐらいは客観的に情報を提供したいと思っていて、烏賀陽さんの、情報をチラ見せでもよしとするかのような姿勢を見るにつけ、訴訟をどのように扱ったらいいのか、時が経つごとにわからなくなっていきました。

 

特に一審で敗訴して以降まもなく、一審を担当した弁護士の解任やサイゾーの訴訟への関与を仄聞していたのですが、烏賀陽さん自身がそれら裁判上重要と思われる経過を積極的に語ろうとしなかったため、方向感を失ってしまいました。オリコン訴訟だけを特別視して、スルーして語らなくなってしまうなら、このブログは信頼性を失ってしまいます。他の興味深い訴訟についても、現在進行形で言及していくのが不自然なように感じていきました。とは言え、停滞の最大の原因は、管理人自身が明確な運営方針をもっていなかったことが原因だと自覚しています。((3)へ)
| slapp | 当ブログから | 22:38 | comments(0) | trackbacks(0) |
非当事者のオリコン訴訟雑感(1)
反竹デモ2003

年が変わったのを契機に、溜まっていたものを吐き出します。以下、長文エントリーご注意を。冒頭写真は2003年、管理人撮影。

 

この文章を読もうという方なら、ご存知のとおり、当ブログを始めるきっかけとなった、オリコンvs烏賀陽裁判は、昨年8月3日に控訴審での和解が成立し、終結しました。和解内容については、烏賀陽さんのサイトにその内容が掲載されています(和解調書)。烏賀陽さんは自ら解説して「勝訴」だと表現しています。そしてのちに経過を語る文章もアップしています。()(

 

ひとこと感想を語る前に、管理人は、烏賀陽さんの被った事態には同情しています(だからこそ、このブログを運営していました)。次にそれを前提として、和解への見解を述べると、結果としてオリコンによる訴えそのものは筋違いであったことが確定したと言えますし、烏賀陽さんは裁判を撥ねつけたうえ、非を認めた者(サイゾー)から500万円の賠償金を得ており、一個人としては勝利を得たと表現できると思います。しかし、対オリコンにおいて「勝訴」したと社会的に強調するのは無理がある、というのが率直な感想です。

 

特に当ブログが問題意識をもっていたオリコン提訴の恫喝的側面に関しては、とりあえずその論点を不問にすることで、裁判は終結したのだと解釈しています。和解成立時に記事にしたメディアがいくつかありましたが、「オリコン損賠訴訟:和解が成立「編集不正確」、サイゾー謝罪 」という毎日新聞の記事の見出しが、最も的確に事態を伝えていると思いました。

 

結果的にこの裁判を通しての「敗者」とは、控訴審から利害関係人として裁判に参加し、非があったことを自ら認め謝罪に至ったサイゾーであったのだと見ています。烏賀陽さんは裁判後、請求の放棄と訴訟の取り下げは違う、とテクニカルなことを強調していますが(確かに用語として別物なのですが)、その実際の効果については、訴訟当事者による自主的紛争解決の方式として、その共通性・類似性を認めるのが学説上も有力な傾向だと私は理解しています。原告による請求放棄とは訴えの根拠がなくなったということだから、それはつまり被告の勝訴に値する、という一般的な方程式は、サイゾーが関係者として加わったオリコン訴訟控訴審では、いっそう当てはまらないと思います。オリコンは誤りを認め謝罪する主体が現れたことで請求を放棄していて、当初の主張どおりの対応をしたとも言えます。

正直に告白すると、こんなブログを運営していたのに、控訴審以降、裁判がどういう経過を経ていたのか、あまり把握できていませんでした。烏賀陽さんは訴訟になって以降、知人を対象に「オリコン訴訟だより」という同送メールをときおり送信していましたが、そこでも控訴審以降は、ほとんど裁判の進行状況は語られず、関係者の多くはやきもきしながら事態を見守っていたのではないかと思います。

 

烏賀陽さんは当初から訴訟に関して、対面直接取材しか認めない、電話での質問には一切答えない、と当管理人に対しても宣言していたので、何か知りたいことがあってもカジュアルに質問するといったことは、できませんでした。このサイトは連名で始めたのですが、もとより知人レベルの関係でありましたので、突っ込んで経過を教えてもらう関係とまではいきませんでした。ただ、和解までには随分長い時間が経過したわけで、知りたいと思っていることを聞き出すことなく、時間だけが過ぎてしまったのは認めざるをえません。((2)へ)

| slapp | 当ブログから | 22:06 | comments(0) | trackbacks(0) |
はじめに
SLAPPは、自らに批判的な相手に、精神的にも経済的にも打撃を与え、萎縮させることを狙った訴訟を指します。裁判が提起されても、原告側が、この裁判は「いじめ訴訟」「嫌がらせ裁判」であると宣言することは、ありません。

当ブログは、司法界で再構築されつつある名誉毀損法理について、考えていこうとする試みです。ですから素材をなるべく集めるため、現在進行形の裁判についても、訴訟権の濫用を訴える当事者の声があれば、事例としてとりあげます。その際は、論点の明確化と事実の紹介に努めます。

この裁判はSLAPPにあたるのでは?この国にはこんな法律がありますよ、といった情報をお持ちの方は、掲示板 SLAPP WATCH BBS、やメール、コメントなどで情報をお寄せください。
                      (管理人)

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